落着
最近、自分の中にだけ閉まっておいた良くない記憶や今までほんのり感じてた怖さみたいなのを他人に解放する機会があって、解放したら止まらなくなってしまった。栓をください。
基本、私は自己評価が極端に低く、自分を好きな人なんているわけないとか思ってる。
生粋のひとりっこで他人に本心を曝け出すことなく生きてきたからかもしれない。他人の評価を極端に恐れているのかもしれない。
和を乱すことを嫌うので、孤立することはない。中学時代には理不尽に孤立したことはあったけど。今でも理不尽だと思ってる。ただ、その原因となった“かつて友人だった人”にオンバトを教えてもらって今に至るので、運命というのは奇妙である。そんなことはどうでもいいんだが。
まぁそんなわけで、何か引っかかることがあっても、「どこが引っかかるの?」「何言ってるの?」と返されるのが怖くて、これ以上傷つきたくなくて、誰にも話さずにしまっていた。耐えられない時はさっさと帰ったりした。
しかし先日、自分がほんのり感じていたことに似たことを発してくれた人がいて、ちょっと話してみようと思った。
一度声に出すと恐ろしいほどに自分の感情が整理されて、一番取り出しやすいところに来てしまった。一番取り出しやすいところのものを奥にしまうには、その根本を解決しないといけない。しかし現状、解決するのはかなり難しい。かなり難しい状態になるまで私は気づかなかったのだ。そして私は途方に暮れている。
この文章を書いてたらかなり落ち着いてきた。
今後もしばらくはこのまま。用事回復。ポケモンセンター。
2018年生大喜利個人的振り返り
今年デリシャストマト出せてよかった回答書くぞー!!!!
打線とかよくわかんないしプロレスのベルトとかに当てはめようかなとか思ったけどごちゃごちゃするだけだったのでやめました!
画像については一部鵠ブログから拝借しました。ありがとうございます。
あと、最近ちょっと前向きに大喜利できるようになった旨を前にも話しましたが、ピックアップしたらそれ以降の回答あんまりなかったです。来年だな〜〜〜
●〇●〇
1/7 落城大喜利
Twitterの急上昇ワードに正義がランクイン。何が原因だった?
一人一答縛りのときに一番最初に答えたやつ。車座の状態でがっつり湧いた経験はこれが今のところMAXだと思います。格闘家になるには遅すぎる。
3/4 EOTスパーリング
自殺ツアーのバスガイド「〇〇」
「どうせ死ぬなら一人くらいサービスエリアに置いてったっていいだろ」
個人的にはかなりきっちり出せた答えだと思っているが、完全にキエーーーーに追いやられたやつ。唯一流人さんが褒めてくれてかなり嬉しかったです。
3/25 大喜利未来杯BIG GAME
カラスと照英の悪いところをとって産まれてきた
悲喜こもごもだった未来杯。このお題は二塁さんが最強だったんだけど、最後の最後でどっとウケてよっしゃってなりました。2回戦の決め手ともなれた思い入れの深い回答。
3/31 大喜利春季杯
つけ麺を開発した人と間違えられている
脊髄反射で思いついた回答。つけ麺を開発した人だとしてここまで讃えられるのか。
部屋に3人の人がいます。ムチで叩く人(S)、ムチで叩かれる人(M)、あともうひとりは?
消防点検に来た人(時間通りに来たのに…)
冬さんのキャス録画で聴いて飛び跳ねちゃいました。つぼあげされるまで忘れてました。部屋にいたら面白いもうひとりという部分を最大限に使えて出せてよかったやつ。
4/15 戦練習会
勉強熱心な殺し屋
「うっす!見学させていただきます!」
銃の裏に「撃つ」、ナイフの裏に「刺す」と書いた単語帳を持ってる
両方好きな回答。1個目はすぐ思いついて、先に答えられないか不安になりながら出した記憶。結果近くの穴場だったみたいで、こういう要素見つけるスキル欲しいね。単語帳はタダのバカなので好き。
8/16 夏休み特別企画・平日大喜利会
猛獣のAIが組み込まれた冷蔵庫
新品のころは子猫みたいに小さくて可愛かったのに…
色んなルールで大喜利をする会の超加点ルールでやった時の回答。確か同じお題でこの前にも100点出してたけど手すり野郎さんがその後100点を2回出して、逆転してやるー!と思って出した最後の答えだったと思います。俺ランさん俺スナさんに褒めてもらえて嬉しかった。
8/29 夏の平日大喜利
戦争が題材の萌えアニメ
持ってけ!金属製品
日本が勝つんです(←結論)
らき☆すたのみで戦った1戦。圧倒的な知識のなさの中、戦争要素でウケれたのが嬉しかったです。でも絶対に 持ってけ!金属せいひん の方が良い。絶対にそっちの方が良いとすぐわかるのでなんか今とても恥ずかしいです。
うわぁ!………後で気づいたんですけどその店、幹事割が効いたんですよ。
一番大好きこと地獄大喜利。この一回戦2題ともかなり楽しみました。ネイノーさんのキャスで挙げてもらってたので、挙がってなかったけど個人的に好きだったこれを。稲川淳二のうわぁ!って代表的だけど怖いなぁの使い勝手の良さに隠れてる感じがして、それをきちんとお題に落とし込めたのがよかったです。稲川淳二が合コンの幹事で得しようとするな。
私立オカマ高校の校歌
あの山(ジェンダー)を超えていけ
淋しい夜にはモスコミュール 激しい夜には黒霧島
これはメロディのチョイスが良いということを自画自賛しておきます。謹製さんに酒のチョイスが絶妙と言われてやったぜって思った。ジェンダーの方はお客さんで見に来てたまめのきファン仲間の友達に褒められてめっちゃ嬉しかった。やっといいとこ見せれた。
11/4 大喜利天下一練習会
「いいえ私はさそり座の女」と真逆のことを言ってください
漢(おとこ)憲一、今 参ります
この系統の答えとして最初にがっつり出せてよかった。いざ参りますの方が良いとか反省点は何個かあるけど、絶対言わないことには変わりないので出せてよかった〜
12/8 きっかけの一歩
もうダメだ Excelに描く 未来予想図
この前に自分の顔をコピーするとか馬鹿なこと言ってたんですが、個人的に好きなのはこの回答です。全然字余りなんですけどね。リズムが良いので誤魔化しました。川柳お題で奥行きのあることを言えたのが、自分の中でかなり収穫でした。
おまけ
9/22 メランコリー会
バイトをクビになったバレリーナ
♪ダバダ〜ダ〜バ ダバダ〜ダバダ〜
違いのわかる男、プロバレエダンサー熊川哲也は
コンビニのバックヤードから5時間帰ってこない
♪ダバダ〜ダバダ〜ダ〜〜
M-1をやろうという企画で出した答え。笑みくじで選ばれた人から順にセンターマイクでボケるという超フィジカル企画。笑みくじ後半だったおかげでちゃんと考えて出せたし、フィジカルも努力次第では使えることが分かってかなりよかった。
●〇●〇
書き始めたらかなりボリューミーになってしまいました。
一年を通して答えが出せてた時期などに偏りがなくてよかったです。
来年はもっと考えて出せるようになりたいね。
よいお年を!
EOTスパーリングvol.5に出るまで
自分周りのこと(主にキルヒさんありがとうの意)についてはツイートじゃまとめきれないので文章にしてまとめようと思いました。
結果、今までの自身の大喜利と関わってくれた人との振り返りみたいな感じになりました。
回答しがむとか自己分析とかは全くありません。ただの雑記と敬意とお礼と愛を伝えてるだけだと思ってください。
振り返ってみると、チーム戦って実は大会に出たとなるとほとんどなかったことに気づきました。
そして全て私から誘ってます。
基準としては
①ストレス(プレッシャー)なくできるか
②見る側になったとして組み合わせとして見たいと思うか(簡単に言ってしまうとエモいか)
③普段来ないけど私だから誘える人
こととか考えてます。
最初は梶本時代(当時スパムちゃん)と出たオオギリダイバーだと思います。これはちゃんと大喜利始めてから1ヶ月くらいの大会だったこともあり、完全に①が100%のやつでおんぶに抱っこみたいな形で出場させていただきました。結果、萎縮することもなくできて本当にありがとうございましたという感じです。ありがとう。
(ちなみにその前に、パワポカラオケのタッグの大会でうっらいさんと組んだこともありました。これは私が経験者の立場だったので③ですね。うっらいさんが途中テンパり過ぎて、プレゼンテーマを書いた紙をいつの間にか床に落とした上に、ぐちゃぐちゃに踏んでいて大爆笑をとった記憶しかありません。)
次がだいぶ跳びまして、未来杯の花いっぱい運動(アオリーカ・モーリシャス)になります。これは②がかなり強かったです。あと単純に大好きな2人だと言うのもあるのですが。これに関しては思い入れが強すぎるので、また時が来たらちゃんと話したいな。もう少し、だけどまだまだ。
で次が千景3on3です。いいことある記念の瞬間。これはMAさん(MA〜〜〜〜泣)が①に振り切れた方で、瀬戸口俊介さんが③に振り切れた方でした(①でもある)。私の中でもかなり大喜利が迷走してる時期で、この2人(MA〜〜〜〜泣)と組めたのは多大な安心感がありました。(MA〜〜〜〜泣)
で、その後もなんだかんだで機会なく、今回のEOTスパーリングに至ったわけです。
このタッグを組むに当たり「どういういきさつで組んだんですか?」と言われることが多く、「大喜利界で一番気楽にできる」「大喜利界で一番信頼できる」などと答えてましたが、もうちょっと強い思い入れがあるので話してもいいですか?
キルヒホッフさん(以下 キルヒさん)は私を大喜利に誘ってくれたきっかけの人です。キルヒさんとの出会いは、うちのしきたりというコント集団になります。メンバーが決まってから最初のミーティングで、最初に到着したふたりが完全に初対面だったキルヒホッフ・デリシャストマト(後の)でした。
初対面で挨拶もそこそこに、いきなり「自己紹介がてら自分の年表をグラフで書いてください」と言われ、会議室のホワイトボードに自分の人生の浮き沈みを描いた折れ線グラフを描きました。中学以外そんなに沈んでなくて、あんまり面白くないなと自分で思ったのを覚えてます。
このときにキルヒさんも割と事細かに自分の人生について話してくれた気がします。(キルヒさんが自身のブログにまとめてます)
その後、練習や打ち合わせなどを通して、性格が似ている、お互いの考えが汲み取りやすい等の理由で私にとっては「大喜利界で一番信頼できる」存在に至りました。
[ここで豆知識なんですが、デリシャストマトという名前もキルヒさんがインスピレーションで言ったものをそのまま採用しました。今同じ状況だったら私は粘土のパンを名乗って大喜利をしていたかもしれない。]
ある日、虎猫さんと共催で大喜利会を開くというお知らせがありました。私は「行きたいけど私なんかが行くなんて恐れ多い」とか思って「ふ〜ん」と思ってましたが、キルヒさんから「デリトマさんは絶対参加」と言われ、参加することになりました。無理矢理手を引っ張ってくれて感謝しかないです。
[あとで聞いたらその大喜利会(大喜利会(普通))は警備員さんとMAさん(MA〜〜〜〜泣)を会わせるために開いた会だったらしい。(MA〜〜〜〜泣)]
今思うと凄いメンツ勢揃いといった感じだったのですが、もちろん私は萎縮し何もできず、やっぱり大喜利は難しいななどと思ってまたしばらくやらなくなるわけですが、この一歩がなきゃ先もなかったと思っています。
その後キルヒさん多忙期に入り、会う機会がなくなった頃、私は本格的に大喜利を始めました。(これは虎猫さんのおかげ)
その後、再びよく顔を出してくれるようになって嬉しかったのですが、私は長い迷走時代の真っ只中(伸びるきっかけを掴めなくてただもがいてただけの時期)だったので、悔しいし情けないし(絶対にないのに)見限られるのではないかと不安だしで更に迷走し出すのでした。(自分に置き換えれば絶対にないのは分かってるのにね)
今年の9月に転職して引っ越したのを境に、大喜利の調子が比較的安定するようになりました(まだまだ低い水準での安定だし自己評価でしかないけど)。
町田市でやった大喜利ライブ(引っ越し前に住んでたから呼んでもらえた)のご縁で他の大喜利ライブに呼んでいただき、それも楽しくできたり、大喜利においてひとつ壁を超えた感覚がありました。(ここも年末とかにまとめたい)
11月にあった大喜利天下一武道会の練習会で、初めて車座で結果を出せて決勝に行けたのですが、その会の終わりに「最近面白いと聞いていたデリトマさんを見れてよかった」とキルヒさんに言われました。私は師範から認められた感覚がして、頭の中で茶帯を受け取りました。
その数週間後にEOTスパーリングの募集が始まり、そのときは何も考えてなかったのですが、ふと頭の中で茶帯を思い出し「やっと誘える段階に来た」と思い、そのままの勢いで誘いました。
結果、茶帯かと思ってたけど緑帯だったなぁと思いました。結局師範に助けられて終わってしまった。また、しっかり茶帯を締めて、やり残したことを取り戻しに行きたいです。師範の前では成長した姿を見せたいので。
EOT本番はキルヒさんは出られないので、また考えなきゃな。
現実
全然眠れない。今日一日中寝てたからなんだけど、明日に響かないか不安だ。とはいえ眠れないのは事実なので仕方ない。
この3連休、珍しく大喜利をする予定がなかった。
関東で唯一大喜利会のあった土曜日に学生時代の友人の結婚式に行ってたからだ。
私は、休日といえば大喜利会かプロレス観戦、平日といえばお笑いライブを見にいくみたいな生活をしている。「自分の好きなことをやる」という方針に従ってたらこうなってしまったし、この生活が楽しくて満足していた。
関東の大喜利界隈は割とそういう人が多く、休日は全部趣味と大喜利に費やす、または自分の生活がある人も生活感を見せない印象がある。(そんなことをしてるのは男性ばかりなのだが、そういうのも私は考えないようにしていた。)
そういう空間に慣れてしまっていた私はあまりにも自身の生活と乖離した現実を突きつけられた。
友人の結婚式に出席するのは今回で11回目である。鴨川杯と一緒だ。大学の部活の同期はみんな呼んでくれるので、こんな数になった。未婚女性は残り私含め2人。中には子育てに奮闘している友人も数人いて、赤ちゃんの顔を見せてくれた。めちゃめちゃ可愛かった。
結婚式に出ると必ず「次はいつ会えるかな?」という話になる。どんどん削られている候補者と、その候補者にいつまで経ってもノミネートすらされない自分にいつも落ち込む。最下位なのはいいが一体何馬身離される気だという申し訳なさにさらに落ち込む。
二次会で仲間内だけになった。私がトイレに行ってる間に席替えがされていて、もう1人の未婚者が尋問されていた。婚約者と同棲を始めたと言う。
在学中は友達として大好きだと思っていたけど異性としても理想的だったなと今でも時々思い出す人が結婚したことも何気ない会話の中で知った。
結婚式の出席者には男性の友達もおり、未婚者はまだ結構いる。そのひとりが「〇〇くんに先を越されたら恥ずかしいよ」と言われていた。
私は転職したことしか聞かれなかったし、そんなイジりもされなかった。
友人が数人でサプライズプレゼントをしていた。私は知らなかった。個人的にすればよかったのに気が回らなくて申し訳ないなと思った。ご両親が挨拶に回ってきたときも、他の人はよく娘から話を聞いてますと言われていた。名乗らなかったからだと自分に言い聞かせている。唯一の高校・大学を通しての同級生だった。
元来の一人っ子気質な私は、嫌われることに非常に臆病になっていて、その分距離を置いてしまう。好きなこともまあひとりで楽しめるし、その場その場で知り合いを見つけていくという方法を自然にとるようになっていた。同性異性問わずボディタッチのような親密なコミュニケーションはほぼできないし、何気ない話題の中心になることはない。聞かれたらなんでも話すけど、聞かれないから話さない。
とにかく、この休日でパラレルワールドから現実に引き戻された感覚があった。人生が終わってしまう危機感を感じた。
帰りの新幹線、私は危機感を感じながら、ボケクエの結果を待ちきれずリロードし続けていた。
大喜利は今が1番楽しいし、これからもっと楽しくなると思っている。今が1番楽しくなったことについても書きたいと思ってたんだよな。大喜利が楽しい1番の理由は疲労の軽減と睡眠の増加だと思う。転職を機に引っ越してから格段に安定した回答が出せるようになったから。睡眠の増加…本当にもういい加減寝なくては…
無題
みんな声あげようぜみたいな雰囲気になってるから書きます。
私はネイノーさんのブログでいうところの、一番最初に出てきた「ある方」です。簡単に言うと、“間違って勝ち上がってしまった人”です。
高い点数を取って「え?」って言われる程堪えるものはないです。いやいやもっと悲しい人はいるよと言われればおしまいですが、少なくとも私にとっては性格的に一番ダメなシチュエーションでした。一番やっちゃいけない人にやってしまいましたね神様はいじわるだ。
これは絶対にそんなことないって頭では分かってるので特に何も触れてもらわなくていいんですけど、私の根底に「こんなにみんな面白いのに、私みたいな面白くない奴が大喜利会の貴重な時間を奪ったら申し訳ない」っていう考えがあるんです。私は他の人に対してそんなこと思ったことないし、絶対的に間違ってる考えだってことは頭では分かってるんです。だけど、生大喜利に興味を持ってから、ちゃんと始めるまでに丸一年かかってるのもそれが根底にあったからなんです。キルヒさんと虎猫さんに踏み入れる勇気をもらって現在に至ります。ありがとう。
で、このことを虎猫さんの夏期講習の時にも話したんですよね。「自信がなさそうに見える」「窮屈そう」って言われて。そのときに「まさか今もそう思ってないですよね?」って聞かれて、「今はさすがにそんなことないです」って答えたんですけど、全然嘘ついちゃってました。すいやせん。でへへ。
ただ当時と今で違うのは、「自分にも面白い時がある」って言えるところです。絶対的に間違ってるんですけど、正直に言うと、ウケた時も嬉しいというより「自分はまだここにいていいんだ」という安心感が先行しちゃうんですよね。これを思ってる限り成長はないってことも分かってる。自分の課題は「とにかく自分自身を好きになって自信を持つこと」なので。なんでこんな簡単なこともできないんだよー
かなり話は逸れましたが、話を戻すと、敗者トーナメントAで私はまぁ鳴かず飛ばずではぁ前回と同じかと肩を落としていて、何もしてないと自己否定の感情が襲ってくるので、マイク渡し係などをして少しでも役立てたという「大会にいた意味」を作って誤魔化してました。マイク渡した後は投票をして、何も考えずに他のブロックを楽しんで見ることができました。面白すぎたのでもう楽しんで見ることに完全にシフトチェンジに成功して、「今日はデリトマさん調子悪かったですね」とか言われても「そうですね〜」と何も考えず笑って返せるようになりました。これは凄い進歩だ。
そして訪れた結果発表。私は完全にシフトチェンジしてたので、大喜利の主電源を落としてました。そうして、みんなに疑問に思われながら私は大喜利をすることになりました。
負けトナ2回戦、私は最初のブロックに出なきゃいけない。『本来勝ち上がるはずだった人がいたらもっと盛り上がっただろうなぁ』と思わせてはいけない、自分がそこにいる意味を作らなきゃいけないという思いに駆られ、必死で主電源を立ち上げてました。かなり追い詰められていた一方で、「私が楽しまないと良い答えを出せない」というひとつの答えにも向かわなきゃいけなくて、感情がクライマックスを迎えてました。そんな感情が終わってる奴が前に出たら盛り下がることは必至だし、気にしないふりしてないとウケるはずがないどころか他のプレイヤーにも迷惑がかかるヤバいと思っていたら、普通に30秒前くらいから急にフラットになりました。多分冬さんが間接的に声をかけてくれたからなんですが。本当にありがとうございます。救われました。
(ここを読み返したら、感情CLIMAX 優勝 棚橋必至 という言葉が思い浮かびました。思い浮かんだだけにしとければいいのにね)
結果、負けトナ2回戦はかなり楽しかったです。特段面白いわけではなかったけど、ちゃんとハネたお題の一部に協力はできたのかなと思いました。
こんな豪華なメンバーの大喜利大会もなかなかないし、オンバト式の計量は楽しいし、続いてほしい大会です。生命の輝きさん優勝おめでとうございます。決勝凄かったなー
U・S・A
月見草
ブームに乗ったわけではないが、こんなタイミングになってしまった。もはやブームに乗ったってことでも良い。
お題箱に質問が来た。
「大喜利始めた時と今で伸びた部分はありますか?」
わざわざ聞かれるくらいなんだから端から見たら伸びてないんだろう。確かに明らかに変わった点とかないよね。伸び悩んでるねぇ。
このこと…自分の個性が分からない、方向性が定まらない、持ち味がないということに関しては最近かなり気にしていて、虎猫さんに開催していただいた夏期講習でも話したわけだが、話してみるとまぁかなりの重症かもしれんなこれはくらいの感じに思えてきて、完全にそれらの原因は指摘されたり自覚してる部分も大いにあったりで分かってるのだが、言ったら負けだという謎の思いもあるので言いません。克服しようと地道に頑張ってるのでよろしくね。
さて、そんなネガティブなことを書くためにブログを開いたんじゃないわよ。そもそもネガティブなことなんて書くだけ損って信条なのに。で、明るい話題ができたらブログ書こうと思ってたらもう夏真っ盛りですよ。ブームに乗ったと思われるタイミングだし。ホントにたまたまよ?たまたま。
あるプロレスラーが言いました
「物事が変わるのは一瞬」
この言葉はこのレスラーの代名詞になっている。いつもはあまり強いとは言えないレスラーだが絶妙な返し技などで時々最強と言われるレスラーから大金星を取ったりする彼にぴったりのフレーズだ。
この言葉を受けてあるプロレスラーが言いました
「物事は一瞬でなんて変わらない。積み重ねた努力があるから結果に繋がるんだ」
マイクパフォーマンスでもバックステージでも記者会見でもない、実況席の隣の解説席で彼はぼそっとこの言葉を放った。
私はこのプロレスラーが大好きだ。私がプロレスをちゃんと見始めたのはちょうど一年前。私は彼の全盛期を知らない。
きっかけはあまり覚えていない。入場時に連れているディーバ(女の子)が可愛かったからか?
外国人の集団の中で唯一の日本人として戦ってるのにそんなに目立とうともしていない彼に私はとにかく見入るようになってしまった。
彼の全盛期の試合を見た。彼は過去、現在新日本プロレスという団体で圧倒的ファンからの支持をもらう選手とタッグを組んでいた。その画面の中で、現在人気者のその人は「向日葵」、彼は「月見草」と呼ばれていた。
年齢は一つ上、キャリアは二つ上の月見草は、向日葵に対して圧倒的な強さを見せていた。しかし、チャンスを与えられるのはいつも向日葵。そういうことが重なって解散に至るのだが、このとき月見草ははっきりと言った「ジェラシーだよね」と。
その後向日葵は大きな挫折を経て、新日本プロレスの顔となった。月見草は月見草として過ごしているように見える。
私は彼の月見草としての生き方に共感している。そして真面目で愚直すぎる生き方に憧れている。
それと同時に、月見草が大輪の花を咲かせるのを心のどこかで期待している。積み重ねた努力が大輪の花を咲かせるのを今か今かと待ち侘びている。
7/22、約2年ぶりに向日葵と月見草がリング上で対峙した光景を、私は会場で見守っていた。月見草は向日葵に対するジェラシーを顕にしていた。どうやらそれは向日葵にも伝わっていたようで、向日葵は各所でこの試合について言及しているのだが、月見草はどこ吹く風である。この反応に向日葵は肩透かしを食らっていたようだが、月見草らしさが現れていて私は嬉しかった。
その後、現在のところ特に進展は認めないが、月見草はどこかでジェラシーを感じていてほしい。そして、愚直なまでの努力で大輪の花を咲かせてほしい。あなたは私の鏡なのだから。